「私がオバさんになっても」
2021/01/09 (Sat) 23:41
「あざとくて何が悪いの?」というテレビ番組、楽しくて私は大好きです。
いつも大笑いしながら見ちゃう( *´艸`)。
その中の1コーナーにあるカラオケでの「あざとソング」コーナーはAとBの二択です。
今回の選択肢Aは、星野源の「恋」、Bは森高千里の「私がオバさんになっても」。
いつもはがっつり製作側の思惑通りに一視聴者としてきゃあきゃあと楽しめる私でしたが
今回ばかりは、番組製作の狙いからは思いっきりズレた見方で見てしまった私でした。
なぜなら、森高千里の「私がオバさんになっても」は昔、
久しぶりに皆で一緒にカラオケに行った友人が、彼女の人生最後に歌った歌だったから。
早稲田大学をあと半年で卒業するというタイミングの彼女が、久しぶりに地元に帰ってきた時。
久しぶりに会った私にジュンちゃんが
「hanaちゃんは相変わらず美人さんやね~」って言って私の頭を撫でてくれたこと、
私、本当は内心すごく嬉しかったのに、
まだまだ生意気盛りだった私はそれをうまく彼女には伝えられなくて、
ついいつものようにぶっきらぼうな態度を取ってしまったことを今でも悔やんでいます。
ジュンちゃんは単にマジメで勉強がよく出来ただけではなくて、
責任感が強くて、優しく愛情深くて、人間的にとっても素晴らしくて尊敬できる人でした。
友人みんなが、彼女を愛して尊敬していました。
明るいひなたで他の友達と談笑するジュンちゃんのふくらはぎの形が、
その時の私の目にはあまりにも完璧に、美しく映りました。
(もともと彼女はものすごくスタイルが良かったのです)
その時なぜか私は不思議なことに、どうしようもなく狂おしいほどに
『あんなにキレイな足なのに・・・もったいない!』と強く強く感じたこともよく覚えています。
後になって思えば、あれは虫の知らせとしか言いようがないこと。
その後に皆でカラオケ行って、バイバーイと見送ったら、
その数分後に彼女は大きな自動車事故に遭って、
そのまま本当に永遠のバイバイをしなきゃならなかったジュンちゃん。
助手席に座る彼女がちゃんとシートベルトをしていたのは、見送る私も確認していました。
でも、もうすぐ自宅に到着というタイミングできっとシートベルトを外したのでしょう。
彼女が運転免許も取っていなくて、学生証もその時はたまたま所持していなかったことが、
彼女の特定を遅れさせたと後になってから聞きました。
医療関係のお身内が居た彼女だからこそ、
もしもその場で身分証明書があれば、すみやかにそこに搬送されたのかも知れません。
そしたら助かっていたのかも。
そんなことを後から言っても仕方が無いことだけれど。
私が彼女の訃報を聞いたのは、バイバイを言った10時間後。
翌朝のことでした。
それから私は一度も、あの歌を歌ったことは有りません。
あれから四半世紀。25年は経った。でも今でも歌えないまま。
今でも歌えはしないけれど、笑顔で聴くことは出来るようになりました。
やっと。
でも25年って、そのぐらい長い長い時間です。
ジュンちゃんとのお付き合いは10年弱だったけれど、
彼女がこの世から居なくなってからもずっと、
「ジュンちゃんだったら、こんな時どうするかな」っていつも考えます。
そのぐらいに、ジュンちゃんは今でも私の心の指針です。
先にこの世を卒業した彼女に恥ずかしくないように生きないと!と、思っています。
あの歌を歌っていた当時の私達はまだまだうんと若かったけれど、
もし彼女が今でも生きていたら、一緒にカラオケ行って、
「すっかりオバさんになったけど」とか言って
歌詞を変えて歌っていたのだろうなとも思います(笑)。
残念ながら一緒に年齢を重ねてオバさんになることは出来なかったけれど
天国のジュンちゃ~ん、
hanaちゃんはもうすっかり良いオバさんになりましたよ(*^-^*)
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その中の1コーナーにあるカラオケでの「あざとソング」コーナーはAとBの二択です。
今回の選択肢Aは、星野源の「恋」、Bは森高千里の「私がオバさんになっても」。
いつもはがっつり製作側の思惑通りに一視聴者としてきゃあきゃあと楽しめる私でしたが
今回ばかりは、番組製作の狙いからは思いっきりズレた見方で見てしまった私でした。
なぜなら、森高千里の「私がオバさんになっても」は昔、
久しぶりに皆で一緒にカラオケに行った友人が、彼女の人生最後に歌った歌だったから。
早稲田大学をあと半年で卒業するというタイミングの彼女が、久しぶりに地元に帰ってきた時。
久しぶりに会った私にジュンちゃんが
「hanaちゃんは相変わらず美人さんやね~」って言って私の頭を撫でてくれたこと、
私、本当は内心すごく嬉しかったのに、
まだまだ生意気盛りだった私はそれをうまく彼女には伝えられなくて、
ついいつものようにぶっきらぼうな態度を取ってしまったことを今でも悔やんでいます。
ジュンちゃんは単にマジメで勉強がよく出来ただけではなくて、
責任感が強くて、優しく愛情深くて、人間的にとっても素晴らしくて尊敬できる人でした。
友人みんなが、彼女を愛して尊敬していました。
明るいひなたで他の友達と談笑するジュンちゃんのふくらはぎの形が、
その時の私の目にはあまりにも完璧に、美しく映りました。
(もともと彼女はものすごくスタイルが良かったのです)
その時なぜか私は不思議なことに、どうしようもなく狂おしいほどに
『あんなにキレイな足なのに・・・もったいない!』と強く強く感じたこともよく覚えています。
後になって思えば、あれは虫の知らせとしか言いようがないこと。
その後に皆でカラオケ行って、バイバーイと見送ったら、
その数分後に彼女は大きな自動車事故に遭って、
そのまま本当に永遠のバイバイをしなきゃならなかったジュンちゃん。
助手席に座る彼女がちゃんとシートベルトをしていたのは、見送る私も確認していました。
でも、もうすぐ自宅に到着というタイミングできっとシートベルトを外したのでしょう。
彼女が運転免許も取っていなくて、学生証もその時はたまたま所持していなかったことが、
彼女の特定を遅れさせたと後になってから聞きました。
医療関係のお身内が居た彼女だからこそ、
もしもその場で身分証明書があれば、すみやかにそこに搬送されたのかも知れません。
そしたら助かっていたのかも。
そんなことを後から言っても仕方が無いことだけれど。
私が彼女の訃報を聞いたのは、バイバイを言った10時間後。
翌朝のことでした。
それから私は一度も、あの歌を歌ったことは有りません。
あれから四半世紀。25年は経った。でも今でも歌えないまま。
今でも歌えはしないけれど、笑顔で聴くことは出来るようになりました。
やっと。
でも25年って、そのぐらい長い長い時間です。
ジュンちゃんとのお付き合いは10年弱だったけれど、
彼女がこの世から居なくなってからもずっと、
「ジュンちゃんだったら、こんな時どうするかな」っていつも考えます。
そのぐらいに、ジュンちゃんは今でも私の心の指針です。
先にこの世を卒業した彼女に恥ずかしくないように生きないと!と、思っています。
あの歌を歌っていた当時の私達はまだまだうんと若かったけれど、
もし彼女が今でも生きていたら、一緒にカラオケ行って、
「すっかりオバさんになったけど」とか言って
歌詞を変えて歌っていたのだろうなとも思います(笑)。
残念ながら一緒に年齢を重ねてオバさんになることは出来なかったけれど
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